Spring Breakでオンライン授業からいったん解放
やはり4月1日というのは日本で生まれ育った私にとって年が明けるのと同じような特別感があります。
でもここはアメリカ。
息子(5歳)はカレンダーを1枚めくれる!という意味での特別感はあったようですが、それ以外は普通の日でした。
ところで、今息子はspring breakです。
先週の金曜日オンラインの授業が終わった途端に「やったー!休みだ!」とものすごく解放された気分になったのは、息子より私の方でした。
オンライン授業が苦手ではない息子のおかげで、私も授業に付き添うのに苦労することはありませんでしたが、それでも月曜から金曜までの9:00~14:30、日によっては~15:30、終わるたびにくたびれていました。
仕事をしていたときよりずっと疲れるんです。
どうしてなのでしょうか。本当にわからない。
もちろんただ横についているだけではないので疲れることはわかっていますが、でもなんでこんなにとは思います。
飽きさせないように盛り上げたり、artでは私も隣で絵を描いて絵の具で色を付けたり、phsycal educationは一緒に体を動かしたり。
writingで息子にあまり興味のないお題を出されたときはなんとか盛り上げて書かせたり。
ああ、1日で最も疲れるのはこれかな。
先生の指示を一言も聞き漏らすまいとしょっちゅう気を張っていること。
リスニングって、これまでの経験などを利用して話の展開を予測しながら聞いている部分もあります。
でもkindergartenの授業において私にはそれが難しい。
私は毎日のように「アメリカの学校ってこんなことやるんだ…」とびっくりしています。
日本で受けた教育とかなりかけ離れているので驚くわけです。
つまり、先生の話を聞く際に私の学校での経験はあまり生きず、話の先を予測できないことが多くなるのです。
その分聞くときの負担が大きくなります。
日本語でも、子どもの教科書や教室に書いてある言葉って意外と日常生活会話で使わないものも多いですよね。
ぱっと思いついたものでは、「三角定規」とか、「気をつけ」に対する「休め」とか。
そうだな、息子のkindergartenで最初わからなかったのは「scavenger hunt」とか「porcupine」とかかな。
scavenger huntは、先生が言った条件に合ったものを持ってくる「借り物競走」のようなもの。
「赤い色のおもちゃ」と言ったらそれを家の中から探してきてカメラの前に映す(オンライン授業ですので)。
先生が拡大写真で一部分を見せて何の動物か子どもたちに当てさせるというのをやったときに何人かがあっさり答えていて、私はhedgehog(ハリネズミ)としか思えなかったので、正解が出ても全くわからず。
これは語彙の問題だけではなくそもそもの知識の問題。
日本語で出題されてもヤマアラシとハリネズミの違いがわからなかったので正解できなかったでしょう、ということ。
これは息子も「porcupine」を知らなかったので、その場で二人で検索して学びました。
話がそれましたが、でもおかげさまで親子ともども夜は疲れて眠れるし、朝は「今日も学校だ!頑張ろう」と素直に明るい気持ちで起きられるし、貴重な体験をさせてもらっているなとありがたい毎日です。
spring breakは子どもと一緒にのびのび過ごしています。
そうそう、4月1日は雪で始まりました。
おとといは川で遊んで、水に半分足が入っても大丈夫なくらいだったのですが。
雪のときは短時間で外でわーっと遊んで、あとは部屋でぬくぬくできるので嫌いじゃないんですよね。
暖かいと長時間遊びに付き合わされるから…。
今さらようやくオーディオブック
子どもが9月にkindergartenに入りました。
そしてそれから3か月の間、自分の時間のなさと疲労は子どもが赤ちゃんだった頃以上でした。
それは、オンラインの学校を選んだからです。
最初の1週間は横につきっきりでPCを操作して、初めて知る「授業」というものに慣れさせて、ルールを守らせて、毎日宿題をさせてオンラインで提出して。
初日から容赦なく、いえ、盛り沢山だったので、初めのうち9:00~15:00の授業の後は私は倒れるように昼寝、晩ご飯はどこかでテイクアウトでした。
それから、慣れたかなと思う日やまた新しい課題にどっと疲れる日の繰り返しを経て今日で3か月。
ふと思うと、この2週間くらいは安定して毎日適度に手を抜けるようになっていました。
授業を横で聞きながら、子どものための日本語学習ゲームを試作してみたり気になっていたことを調べたりしていたのですが、そうだこういうとき耳読書ってどうだろうと突然思ったのでした。
今さらですね。もう何年も前からやっている人は普通にやっている。
でも、私には今、だったんです。そのことは次のエントリーで。
昨晩、布団に入ってどこのオーディオブックサービスを利用しようかななどとネットを見ていました。
思ったより高い…。毎月支払うネットのサービスって増えるばかり。
私、仕事していないですし、できるだけ節約したい。
新しいものを買う前に、持っているもので足りるかどうか考える、庶民の生活の基本です。
新たにお金をかけない方法を考え、多くの方がやっていることだと思いますが、kindleの読み上げ機能を使ってオーディオブックの代わりとすることにしました。
不自然なイントネーションなど、割り切ってしまえば私は思ったほど気になりません。
ただ、長時間この人工的な音声を聞き続けるのは脳に悪い影響もあるのではないか、と思うぐらいの違和感はあります。
そこで思い出しました。
YouTubeに朗読ってあったなあ。
窪田等さんのチャンネル、たしか登録だけしていたんだった…。
著作権切れの日本の名作を朗読してくれるチャンネルです。
早速横になって聞いてみると、少し聞き逃しがあってもだいたい内容は入ってくる。
以前、私は本を読むのでも聞くのでもちゃんと一字一句理解していかなければいけないのだと思っていました。
でもいいんです、どこか飛んでしまっても。
1回読んだ(聞いた)くらいでディテールまで理解したなんて普通はない。
映画だって気に入ったものを再び観ると、一度目は全く気付かなかった演出があったりするものです。
ありがたいことにYouTubeは家族でプレミアムに入っているので、広告カットや一時保存でオフラインで視聴できるなどのサービスもあります。
まずは青空文庫の小説などを朗読で聞いていって、さらに聞くものがなくなったらオーディオブックサービスに進めばいいじゃないかと。
進めば…って、青空文庫だけでどれだけあるのかという話です。
さあ、kindleは果てしなく積ん読だし、青空文庫の小説もたくさんあるし、子どものオンライン授業の横で遅ればせながら私も学習していきます。
SNS離れてすっきり
半年と少々SNSから遠ざかっていました。
それ以前、一番頻繁に使っていたのがTwitterだったのですが、ほぼ見なくなりました。
数か月間は一切開かず。その後はときどき別の場所で話題になっていたりすると、そこに貼ってあるリンクから見に行ったりはしていました。半年のトータルではほんの何回かです。
あとは、Twitterで突然更新しなくなった私を気にしてくれた方が何人かDMをくれたので、そこでのやり取りはありました。
離れたきっかけは、ただなんとなく億劫になったから。
近頃ようやくTLを開いてみようかという気になり、ただその前になぜSNSから離れたくなったのか振り返っておこうと思います。
以前の私、TLを開けばいつも何かしら情報が上がっている!とはまっていました。
振り返ると、関心があることについての情報が常に流れてくることが、そのこと自体が有益なことのように感じていたのだと思います。
知らなかったことやいろいろな人の意見がただ一方的に流れてくる、その情報量の多さに満足していただけだったのです。
そして満足していた一方で、次第に一部の人の間では自分がどれだけものを知っているかを見せる場になっているようにも感じてきていました。
実は私も普段生活していて「これは新しい情報!」と思ってよく街で写真を撮ったりしていたのですが、そこに説明を付けるときにこれ本当に書きたいという気持ちある?とふと疑問に。
書きたいのではなく読まれたいだけだなと気がつきました。
見られたいという動機で書こうとすると、文字を打とうにも自分自身がノッてこないのです。
ああ、これはSNSのダメなやつだと思い、離れる一歩になりました。
半年間、受け取る情報量はすっかり少なくなりました。
ただ、欲しい情報は自分から調べに行ったし、ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)からは遠ざかってもソーシャルメディアはよく覗いていたので(ROM専門で)、そこから受け取る未知の情報もあったし、思えば今の自分にはそれで十分だったような気がします。
あとだんだん苦手になっていたのが、「発信」するタイプの人への熱烈な持ち上げと、さらにそこに乗っかる人たちの声。
何かあれば素晴らしい、ついていきます、などのリプが続いて、その「発信」主だってときどき間違ったことや偏った意見を書いてるのにな…。
これが芸能人や有名人のツイートだったら批判やときには炎上もありますが、もっと小さな世界でのことなのでなかなかそうはならず。
少し疑問に思う人があっても完全匿名アカウントでもない限りSNSだと指摘しづらいので、多くはスルーされてしまうんですよね。
数年前くらいから、新しくアカウントを作った人の「Twitterでこんなに情報が得られるなんて!」「Twitterでたくさんの仲間と繋がることができました!」とか言うツイートが流れてくるようになり、少々うんざりすることが増えてきました。
ここはMLMの大会会場ですか?
そこには「発信」者に対する賞賛と賛同ばかり。
上にも書いたとおりときどき間違ったことや偏った意見もツイートされているのですが、こういう方の多くはすべて肯定的に受け止めてしまうんですよね。
これも自分のところに及んでほしくないSNSのダメなところ。
それで離れました。
最近、恐る恐るTwitterを開いてみたら、小さな世界での発信者への賞賛と賛同傾向はますます進んでいるように見えました。
戻ってみるつもりではいますが、以前のようには…使わないだろうな。
そうそう、SNSから離れたらどうなったか、ですが。
頭がすっきりして現実の生活に集中できるようになりました。
当たり前ですけどネットより大事な家族の時間をたっぷり堪能できました。
コロナの影響で学校がオンラインになった子どもと一日中額を合わせていたから、スマホに文字を打ち込んでいる時間は、なかったなあ。
ペーパーレスの逆を行く
先日、子どもは毎日こんなに書くのか!と驚いた話をここでしました。
私は独身の頃から文房具を見たり買ったりするのが好きで、部屋には手をつけていないノートやペンなどがたくさんありました。
人生終わるまでに使い切らないかもな…どうしようかなと、ここ数年思っていました。
ところが、子どもがキンダーガーテンに入ったこの9月からの2か月で、そのかなりの量を消費してしまいました。
まだまだ在庫はあるにはあるのですが、人生終わるまでに…なんて心配は要らなくなりました。
そうだ、文房具は使ってなんぼ。私も見習わないと。
ペーパーレスとか言います、そりゃあ環境を考えたら大事なことです。
私もノートアプリを使ったりしていました。
でもそれはちゃんと紙を使う経験をした後で取るべき行動ではないか、と子どもを見ていて思いました。
紙に書く。掻くように書く経験。
まとめる、分類する。手で持って作業をする経験。
それらを大量に行ってから、その後で重さもない場所も取らない、紙を模したものにシフトしていかないといけないように思いました。
最近は親子でインデックスカードにハマっています。
もともと私がカードのような紙が好きで、見かけるとつい買ってしまっていました。
あるとき子どもがGoogleマップで好きな場所を検索したいときにスペルがわからなくて聞いてきたので、インデックスカードに書いてPCの前に並べていくようにしました。
ああ、ため込んでいたカードの使い道があってよかったと思っていたら、子どもがそれに絵を描いて壁に貼ったり半分に折って豆本を作ったりし始めたのです。
知識が増えるとカードのかさが増える、絵を描いた分だけカードのかさが増える、どれだけ夢中になったかが目に見えてわかります。
これはノートアプリではできないこと。
そんなこと当たり前なのですが、自分のこととして体験したので強く実感しました。
たくさん紙に書いて残そう。
冬はきっとまた新型コロナウイルスのせいで家にこもることになります。
この異常な事態に何を積み上げたか、その量を目に見える形で残していこうと思います。
4年
アメリカ大統領選。
投票日まで特に何も思わないで過ごしてきました。が、リビングで選挙特番を眺めていたら今自分はどこにいるんだっけ?という不思議な気持ちになりました。
そっか、そういえば4年か。
東京にあるアメリカ大使館へ面接に行ったのがちょうど4年前の今頃。ビザ取得のためでした。
あのときは何の覚悟もなく、何年後に自分がどこにいて何をしているかというイメージもなく、ただ目の前に起きることを順番に処理しているだけでした。
あのときの次の大統領選がこの今日だったんだ。
私自身は何の進歩もしていない、むしろ4年前に何の不自由もなくできていたことがここでできなくなっていたりもして、退化しているような…。
例えば、4年前の私は日本で何のストレスもなく買い物したりサービスを利用したりしていたけれど、今外国で日常にちょっとしたストレスはいつも付いてまわります。
でも、4年前までしたことのない経験もいっぱいしています。
例えば、車の運転は免許を取って数えるほどしかしたことがなかったけど、今は玄関で靴を履いたら車のエンジンをかけるのもほぼセットです。
未経験のことや未知のものに囲まれていて、いつも何かしら調べものをしている感じです。
前や上に向かって進んではいないけど、なんとか横に両手を伸ばして広げてきた4年といったところでしょうか。
最近では横に伸ばすこともやめてしまっていたので、ここからつぎの4年は、また少し自分に負荷をかけていこうかと思います。
子どもになって書きまくる
これから、書くことをたくさんしていこう、と書きました。
とにかく数を重ねなければ何事もうまくなりません。
それを教えてくれたのは子どもでした。
今私の住む地域では子どもの学校は通学かオンラインを選ぶことになっていて、わが家はオンラインを選択しています。
これについては面白いことイライラすること、言いたいことがたくさんあるのですが、それはまた別の機会に。
オンラインの授業を横で見ていると、毎日たくさんの発見があります。
その中でも衝撃的だったのは、とにかく書かせること。
子どもは小学校に上がる前のキンダーガーテンの年齢、5歳なのですが、そんな子にここまでやらせるのか!と夫と一緒に驚いています。
今の時代がこうなのか、この国の教育がこうなのかわかりませんが。
最初は絵日記的なもの、次は事実でもフィクションでもいいから考えて絵と短い文を書きなさいというもの、そして最近はあなたが好きな場所とその理由を書きなさいというもの。
1日で終わりではなく、先生の指示にしたがって少しずつ書き足していきます。
でも具体的な例などがあるわけではなく、本人の考えたものを素直に出させます。
言語を身につけていくって、自然に覚えるとかではなく、この量を積み重ねることなんだ…とあらためて知りました。
自分が外国語を学ぼうと思ってやってきたことなんて、これの何パーセントくらいだろうと情けなくなりました。
だから書きます。
思ったこと感じたことは書き記して残さないと。
絵も上手に描けるようになりたいから、子どもが毎日描くぐらい描きます、一緒になって。
そんなことを考えていたら、これから寒くなって家にこもる毎日が楽しく思えてきました。
去年まで子どもをプリスクールに預けていたときは先生にまかせっきりだったので、教室でやっていることなんてその成果物しかわかりませんでした。
新型コロナウイルスにいい機会をもらった、と言える部分かもしれません。
足掻いてみよう
私の住む土地では、これからぐっと寒くなって外に出ることも少なくなる。
長い長い冬の始まりだ。
それを知らせるかのように、今日は突然雪が降った。
それも強風をともなってちょっとした吹雪だった。
ここでは、日照時間も減り寒さで外出も減り、冬に鬱っぽくなる人が多いと聞く。
ましてや新型コロナウイルスも最近また猛威を振るいつつあって、これまでの冬より引きこもる覚悟が必要。
私はこの夏にいわゆるコロナ鬱のような状態になった。
何もしない、できない毎日。
人並みには好奇心があるタイプかとずっと思っていたが、そうではなかったらしい。歳とともに薄れていったようにも思う。
私って物事への興味がこんなになかったのか…。
それがさらに日常のやる気も奪っていって、暗くぼーっと過ごす日々につながっていった。
そんな毎日が続いたあるとき、私はつまらない人間なんだ、なんとなく突然それを認めた。
否定せず、あるがままを受け止めたあたりから徐々に立ち直っていった気がする。
さて、ここからまた気分の落ち込む季節。
私も夏の状態に逆戻りかと思いきや、なぜかやりたいことがぽつぽつと頭に浮かんできている。
つまらない人間、そうなんだけど、それでいいやとはまだ言っていない。
つまらない人間なりに足掻いてみよう、今はそう思っている。
だから、これを書いた。
書くことは嫌いではないし、書こうと思えばいつでもできるし。そう思っているところがあった。
そうじゃない、たくさん書かないと書けるようにならないんだ。
やりたいことのひとつは書くこと。
ブログにも紙にも書きつけていこう。